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政治の本質

国体・皇室

日本人(国)をして世界の指導者(国)にすることで、地球文明のレベルを上げて宇宙の発展に寄与します。                                実現する為の手段は日本人を自虐史観から脱却させて自らの歴史と民族及び国家に誇りと自信を持たせる事によってです。          故に、「政治の本質」は国益に沿う政策を主張するweb新党「富国日本」党を結成しました。

尊皇和平と武士(もののふ)復古(第五章) 尊王攘夷 

国体・皇室

幕末の尊王思想の特徴とは?
その思想が江戸幕府に与えた影響とは?

▽ 尊王攘夷

幕末の尊王思想の特徴は、南北朝時代に公卿の北畠親房が書いた
『神皇正統記』(じんのうしょうとうき)と違って国防や外交に繋がる
攘夷と結びついている点です。これは1839年から1842年に行われた
アヘン戦争の敗戦でユーラシア大陸の東端の清国が大英帝国や、
西洋列強の植民地化が進んだ国際情勢に関係が有ります。清国の
敗戦後の情報を得ていた日本の知識階級は危機感を強めます。
同時期に水戸藩では天保8年(1837年)に第9代藩主の徳川斉昭が
藩校としての弘道館を設立します。この弘道館から後の水戸学派が
形成されていきます。その水戸学派の中心の1人が、藤田東湖で
古事記・日本書紀などの建国神話を基に『道徳』を説きました。
この弘道館の教育理念を示したのが「弘道館記」で「弘道館記述義」
において、解説の形で尊皇思想を位置づけました。これらは水戸学の
思想を簡潔に表現した文章として著名で、そこには「尊皇攘夷」の語が
初めて用いられた のです。
水戸学は儒学思想を中心に、国学・史学・神道まで含有した教えです。
又、全国の藩校でも水戸学は教えられました。
この尊王攘夷思想が幕末に広まったのが江戸幕府を崩壊させた一因
となりました。
光格天皇の孫が、明治大帝の父であり幕末政治の中心であった孝明
天皇です。孝明天皇が江戸幕府に対して繰り返し攘夷の実行を指示
した為に時の14代将軍徳川家茂は文久3年5月10日(1863年6月25日)
をもっての攘夷実行を約束させられました。
しかしながら徳川家康以来、260年政権の座に在った江戸幕府の幕閣
達に軍事力で上回る西欧列強諸国に軍事行動を実行出来る蛮勇は
有りませんでした。江戸幕府の代わりに、ある意味強烈な尊王意識に
よるファナティックな軍事的な攘夷行動を取ったのが幕末の雄藩の1つ
である長州藩で文久3年(1863年)馬関海峡(現 関門海峡)を通過する
外国船への砲撃を実施したのです。
夷狄である外国を日本から打ち払い和平を実現させるのが天皇が
任命する官職の1つである征夷大将軍です。
攘夷を実行出来ない徳川将軍と江戸幕府に対する権威と信用が
大きく損なわれ大政奉還から明治維新に向かう歴史の趨勢を作った
のが孝明天皇の攘夷実行の指示でした。

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尊皇和平と武士(もののふ)復古(第四章) 尊王思想 

国体・皇室

江戸時代までの日本は徳川幕府と諸藩の連合国家でした。
インドと同様に西洋列強によって各藩が互いに争うことで
植民地化の危険性が高かったのです。
それを防いだのが光格天皇の事績以降に再度高まった
尊王思想を媒介とした天皇を中心にすえる近代中央集権
国民国家の樹立でした。

▽ 尊王思想が高まった事で植民地という亡国を免れた幕末の日本

光格天皇の事績により天皇と皇室の権威は徳川家康とその息子の
徳川秀忠が押し付けた禁中並公家諸法度の軛から脱出し上昇を開始
しました。それと共に江戸時代中期から広まった国学及び七年戦争の
最中の宝暦12年(西暦1762年)にイギリスによってフィリピンのマニラが
占領された事で明らかになった鎖国と呼ばれている武装中立の破綻、
即ちイギリス、ロシアを代表とする西洋列強の植民地化への脅威に
対抗する国防意識が日本の知識人層に広まったのです。
宝暦12年(西暦1762年)と言えば江戸幕府の徳川家治が10代将軍に
任命された年です。
徳川家治は、田沼意次を老中職に抜擢し印旛沼・手賀沼干拓などの
積極財政を行う事で幕府財政を立て直したのですが、江戸幕府には
国防への危機意識が低くアメリカのペリー提督が率いる4隻の艦隊が
日本に開国を迫って嘉永6年(1853年)に襲来した所謂「黒船来航」まで
無策に終始します。国防への危機意識は、雄藩の方が江戸幕府より
高く薩摩の島津斉彬は藩主に嘉永4年(1851年)第11代藩主に就任
と同時に藩の富国強兵に努め、洋式造船、反射炉・溶鉱炉の建設、
地雷・水雷・ガラス・ガス灯の製造などの集成館事業を興しました。
上昇を開始した天皇と皇室の権威と江戸幕府の国防や経済への無策
や悪政が幕末の尊王思想を盛り上げていきます。天皇から任命された
徳川将軍率いる江戸幕府の政治が日本国と庶民の為にならないのなら
天皇を中心とした国家と政治体制に変化させる事で西洋列強の植民地
化への危機を乗り越えようとして見事に亡国せずに富国強兵を実現させ
日清日露戦争と第一次世界大戦の勝利を持って世界の五大国まで
登ったのです。

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尊皇和平と武士(もののふ)復古(第三章  御所千度参り) 

国体・皇室

光格天皇の御代は時の政権の経済政策が不況にも関わらず、
緊縮財政政策に邁進している点で現在と同じなのです。
では、その時に取った庶民の行動は?
我々も仙洞御所、当用憲法の規定外になった上皇のお住まい
に、お参りを始めましょうか。

▽ 御所千度参り

天明7年(西暦1787年)6月上旬に、禁裏御所周辺に人が集まり始め
ました。
同月の半ばには約3万人、最終的には5から7万人と言われた程、
膨れ上がった老若男女が御所を囲む築地塀をぐるぐる回り門の前で
礼拝、祈願したのです。
時の為政者が無能で庶民の生活を守ろうとしない以上、頼れるのは
当時は「天子様」と呼ばれた天皇陛下しかいらっしゃないと庶民達は
考えたのです。
この庶民達の動きに対し当初は当時の上皇や公家たちが飲食物の
振る舞いをしていましたが最終的には江戸時代の法律である、「禁中
並公家諸法度」発布以降の慣例を破って京都所司代を通じて江戸幕府
に具体的な政策の実施を要請して救い米の放出を通じて庶民達を
救ったのです。
現代の日本も同じです。
飢饉の現代版であるデフレ不況を脱する為の政策である積極財政や
消費税減税を行わずデフレ不況を深刻化する緊縮財政と消費税増税
と法人税及び所得税減税に邁進する無為無策な幕府より酷い、まるで
大日本帝国を滅亡させた昭和10年代に居た広田弘毅内閣の馬場鍈一
蔵相、二・二六事件(1936)で暗殺された高橋是清に代わって蔵相に
就任した人物ですが、彼は自由主義閣僚の排撃と軍拡路線を軸として
広田内閣組閣を仕切り、蔵相就任後は統制経済と大増税・大軍拡を
推進し国民生活を破壊し塗炭の苦しみを味わせたのと、悪意悪策を
財務省を中心に経産省や総務省を代表とする中央官庁が行っている
のが今の日本の政治です。
5月に行われる今上陛下から皇太子に譲位後の上皇と天皇の両陛下
に具体的な政策の実施を要請して救い米の放出を通じて庶民達を
救済した光格天皇の事績の再現を期待しています。
時の為政者が無能で庶民の生活を守ろうとしない以上、頼れるのは
天皇及び皇族しかいないので御所千度参りが光格天皇の御代に行わ
れた歴史が有った事実を広めていくのが重要です。


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尊皇和平と武士(もののふ)復古(第二章) 光格天皇の事績 

国体・皇室

令和の新しい御代の二日目は光格天皇が主人公です。
4/30に先帝陛下が行った譲位こそが江戸時代後期の光格天皇以来
200年ぶりの譲位なのです。
実際の権力を所有している徳川幕府の作った仕組みの中にあって、
権限ではなく影響力を用いて近世の天皇の中でも最高の権威を復古
させた所が光格天皇以降に幕末から明治維新に向けて日本に尊王
思想が、高まる契機を作ったという意味で最も重要なのです。
又、光格天皇の御代は時の政権の経済政策が不況にも関わらず、
緊縮財政政策に邁進している点で現在と同じなのです。
では、その時に取った光格天皇の行動とは?

▽ 光格天皇の事績

英明な光格天皇について先例を重んじる皇室の長である今上陛下も
研究されていると聞いていますが、是非、光格天皇と同様な影響力が
今後の日本国に起こるのを期待しています。
さて光格天皇の事績として御所千度参り、尊号一件、外交権が君主
大権に帰属の再確認、学習院建設構想が有ります。
参考文献
国民が知らない 上皇の日本史 倉山満 著
https://amzn.to/2TIaGqO

どれも幕末に尊王思想を高めるのに影響が大きい事績なのですが、
今エントリーでは、光格天皇の最初の事績となった御所千度参りに
ついて深堀したいと思います。
時は光格天皇の代始め改元が行われた天明元年(1781年)前後から
の桜島や浅間山の大噴火による影響で凶作が続いたことによる飢饉
いわゆる日本最大の飢饉の天明の大飢饉に遡ります。
本来であれば飢饉等の緊急時は、天皇から日本国の統治権を征夷
大将軍の官職を任命されている徳川家と江戸幕府が農民から徴税
している米等の食糧で備蓄している分を放出して飢饉で苦しんでいる
地方の農民や都市部の庶民を救う行動を早急に行えば済む話です。
ところが時の江戸幕府を牛耳っていたのは教科書では幕府の財政を
立て直そうとして高評価を与えているが実際は緊縮財政を不況時に
強行して、かえって財政を悪化させた積極財政で税収を増やして、
財政立て直しを図った田沼意次の座を奪った老中職の松平定信です。
日本では近世末まで年貢米を基本通貨の元とする、いわゆる「米本位制」
を取っていました。
「米本位制」は「金本位制」と同様に取れ高が少なくなる飢饉になれば
デフレ不況になります。
この理屈は現在の金の裏付けの無い「信用通貨本位制」でも同じです。
名目物価が上昇しないか下降しているデフレ時には通貨発行量を、
増やして物価が上昇するまで使う政策が必要です。
即ち、第二次安倍政権が発足時だけに採用していた本来のアベノミックス
です。スローガンに使った「異次元の金融緩和」と「機動的な財政政策」
である積極財政です。
逆にデフレ時に松平定信が行った様に倹約を旨とした緊縮財政、現在
であればプライマリーバランスや消費税増税強行したらどうなるか?
江戸時代であれば餓死者、現代であれば自殺者が増えるだけです。
いつまでたっても無為無策な江戸時代の行政府である幕府に対して
京の庶民が取った行動が「御所千度参り」です。

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尊皇和平と武士(もののふ)復古(第一章)  

国体・皇室

本日(5/1)新天皇陛下は125代続いた天皇の座を上皇からの譲位を
受けて皇位を継承された後に即位され皇位の証しとされる三種の神器
のうち剣と璽(じ)(まが玉)などを受け継ぐ儀式「剣璽等承継の儀」と
「即位後朝見の儀」に臨まれました。
同時に三十有余年続いた平成の御代は4/30を以て終了して本日から
令和の新しい御代が幕を開けました。


すめらぎ いやさか
天皇弥栄



令和の新しい御代の開幕を祝して、臣ロベルトは新しいスローガンを発表します。
新しいスローガンは


尊皇和平と武士(もののふ)復古


今日から数回に分けていきますので皆様、宜しくお願い致します。

▽ 始めに

平成31年(西暦2019年)4月1日の午前11時半過ぎに菅内閣官房長官
から5月1日の御代代わりに伴う新元号が発表されました。
https://www.kantei.go.jp/jp/tyoukanpress/201904/1_a.html

新元号の名は

令和(れいわ)

です。

新元号は飛鳥時代の645年に孝徳天皇即位から始まった日本独自の
元号である「大化」から数えて248番目になります。
又、248番目で初めて直接の出典がユーラシア大陸の東端の地域に
起こった王朝の書籍からではなく日本の古典である万葉集からに
なりました。
新元号の典拠は万葉集の梅の花の歌、三十二首の序文にある、
「初春の令月にして 気淑(きよ)く風和(やわら)ぎ 梅は鏡前の粉を
披(ひら)き 蘭(らん)は珮後(はいご)の香を薫(かおら)す」から引用
したものです。
そして
令和は「和(なご)み令(せ)しむ」で和を根幹にすることを御神意とする
ことを示した元号です。(小名木善行氏の解釈を引用)
新しい御代の理念を到来させる為には新しいスローガンが有った方が
効率的です。
以降、このテーマに沿って論じます。

▽ 皇紀2679年に約200年振りの譲位が復活

今年、平成31年(西暦2019年)は神武天皇が橿原宮に初代天皇として
即位してから2679年です。
そして今年の4月30日に今上陛下が退位され現皇太子殿下であられる
徳仁親王が第126代の天皇になられます。
この御代代わりは通称今上陛下の「ビデオレター」と呼ばれるが本当は
玉音放送が端緒でした。

象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば
(ビデオ)(平成28年8月8日)
http://www.kunaicho.go.jp/page/okotoba/detail/12

2679年間一度も途切れることなく続いている皇室を中心に据えている
日本は世界で圧倒的に最長の歴史を有する国家なんです。
日本の西に有る国は「5000年の歴史」とか豪語してますがロベルトが
小さい頃には4000年の歴史とか言ってましたから数字自体には意味
が無く半島の連中と共に単に古い歴史を有すると言いたいだけです。
しかし、その歴史とやらも日本の神武天皇以来の万世一系ではなく
易姓革命の思想が支配的なので地域は変わらないかもしれませんが、
様々な民族がユーラシア大陸の東端に断続的に国家を樹立し、同じ
パターンで滅亡を繰り返しているのが真実です。
参考文献
なぜ中国は民主化したくてもできないのか 「皇帝政治」の本質を知れば
現代中国の核心がわかる 石平 著

https://amzn.to/2SF9NyV

嘘だらけの日中近現代史 倉山満 著
https://amzn.to/2N0NXRk

今回の譲位は江戸時代後期の光格天皇以来200年ぶりになります。
光格天皇は明治大帝の父であり幕末政治の中心であった孝明天皇
の祖父に当たります。
そして英明な天皇として知られています。
幾多の素晴らしい事績を残されている光格天皇ですが、天皇及び
第四皇子の仁孝天皇に譲位した後の光格上皇の生涯を通して実際の
権力を所有している徳川幕府の作った仕組みの中にあって、権限では
なく影響力を用いて近世の天皇の中でも最高の権威を復古させた所
が光格天皇以降に幕末から明治維新に向けて日本に尊王思想が、
高まる契機を作ったという意味で最も重要です。

次回に続きます。

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