尚、平成16年に下された最高裁判例は不法行為の成立認定に踏み込まず、韓国側の請求を棄却し、彼らの敗訴が確定している。理由は1965年に締結された日韓請求権協定2条3の文言(一方の締結国及びその国民の他方の締結国及びその国民に対するすべての請求権であって同日以前に生じた事由に基つ“くものに関しては、いかなる主張もすることができない)が憲法14条、29条3項に抵触せず、且つ現憲法施行前の行為を憲法の国家賠償を定める17条は予定していない(国家無答責の法理)からである。 ここで、私は改めて当該問題の深刻さを日本国民の全員に問いたい。即ち、「元従軍慰安婦」の主張は、東京裁判の判決と同様に法治国家の根幹たる罪刑法定主義(帝国憲法23条、日本国憲法31条)の派生原則たる刑罰不遡及の原則(憲法39条)を崩壊させるレベルの暴論であるということである。 No crime and no punishment without preexisting law.という刑罰不遡及の原則(行為の時にその行為が犯罪として刑罰を科せられるものと定められていなかった場合には、その後に定めた法律の効力を行為の時まで遡らせて行為者を処罰することは許さないという原則)は全世界的に普遍的に共有されている崇高なる法規範である。 これを恣意的に否定しているのか法的素養が皆無なのか解らないが、元国家公安委員長の岡崎トミ子氏が「元従軍慰安婦の尊厳を守るため、韓国での反日デモに参加しました。」と発言したことは、凡そ立法府の構成員として許容しえない大事件であった。現行憲法の中核は個人の尊厳(13条)であるが、元慰安婦が業務に従事した時代は皇室を中核とした帝国憲法が施行されていた。加えて「売春防止法」など存在しない。そもそも権利性も保護法益性も認められない時代に生じた出来事に対して今日生じるようになった法規範を訴求する思考は粗雑にして哀れである。更に言えば、その不適格なることを認識していたならば、罪刑法定主義の否認者であり人治主義の崇拝者であると指摘されても弁解の余地はないであろう。 偏狭な憎悪感情が国民の意思形成の根幹を成し、国際法上消滅した請求権を復活させたり、刑罰不遡及の原則を否定することを正当化する国家は「邪悪」という形容を用いるほかに私は日本国民に警鐘を鳴らす術を知らない。思考の平衡を維持している台湾国民との親善交流が我々を癒してくれるものだと期待している。』
刑罰不遡及を持ち出すまでもない
「刑罰不遡及」を持ち出すまでもなし!